pattern recognition

以下のような、4つの図形があったとする。


①○の中に○
②○の中に□
③□の中に○
④□の中に□


これら4つを二つにグルーピングせよといわれたときに、あなたはどう分けるだろうか?


外側が○か□ということで、①、②|③、④とするだろうか。
中が○か□ということで、①、③|②、④とするだろうか。
外と中が同じか違うかということで、①、④|②、③とするだろうか。





どれも正解である。


それぞれの立つ見方により複数のグルーピングが存在しうる。
もっといえば、これらは同等に等しく、同等に異なるのである。



パターン認識において、分けたいものがm個あるとき、n(>m)の評価軸を設定することができれば、すべて分類することが可能である。
…これを、カーネルという。


もはや、分類できるかどうかは問題ではない。

分類の結果“違う”とされたものを、どういう条件において“同じ”ものとみなしていくのか?(同値関係)こそが重要な問題となる。




性別、所属、あらゆるものでそれぞれの人を分類することは難しくない。



異なるがゆえ、何らかの評価軸を設定しなければ、それぞれを比べることもできない。

評価軸の数が多ければ多いほど、それぞれは同等に異なっているように見える。
しかし評価軸の数が少なければ、それは実態に即しないグルーピングが行われるように思われる。
※同等に異なるものでも、ある要素だけが極端に異なるとされてしまうetc.



昨今の小学校、中学校教育における評価軸の少なさが気になる。
勉強だけが軸になり、運動や芸術などが軸からはずされる。
軸が少なくなればなるほど、ある子だけが異質と判断されかねない。



「いじめ」といわれるものも、最初は自分と違うという小さな判断から起こっているのではなかろうか。

いつもどおり、話が脱線した…(><)。