経営共創基盤CEO・元産業再生機構COO冨山和彦

「会社は頭から腐る」



帯より引用
《企業再生のような修羅場になると、社会も組織も、その本性を現す。
そして人も、その本当の姿というものが出る。
私はさまざまな人間ドラマを目にすることになった。
自分自身を含めて人というのは、実はそれほど強いものではない。
だから、産業再生機構の活動により、結果的に刑事被告人となってしまった人々を含め、誰も心から非難しようとは思わない。》



この本に流れる基本的な考え方は「人は本来よわいもの」という立場である。

ものすごくモチベーションにあふれている人でも悩むことはある。
正義感の強い人でさえ追い込まれると悪事に手をそめてしまうこともある。

自分自身を思い返しても、追い込まれているときには心の余裕がなくなり、心にないことを言ってしまうことがある。


毎日の生活においても、企業経営においても、人間は本来弱いものであるということを念頭においておくことは重要だと思う。
一つのミス、一つの間違い、一つの言葉尻を捉えてその人の印象をかえてしまいがちだった自分にとってはなお重要だと思っている。

人間は本来弱いものであるという前提に立てば、周りの人に対して少しやさしくなれる。
主観的には腹の立つことでも、受け止められるための心の余裕が出来る。
達観するというのとは、少し違う。
でも、その場で思ったことをそのまま言ってしまうのを抑えられる、それは大きなことだ。

自分の究極的な目標は「すべてを許せる心の広さ」を持つこと。
自分の心のマネージにはとても大切な要素だ。



以下は、本書で述べられていた具体的な項目について少し思ったところ。



『(株主の権利のうち)統治権と財産権の分離をしてみるのはどうか?』

これは前から自分自身でも考えていた。
所有者が管理者責任を果たしていないのは明らかだからだ。
ひっきりなしに変わる株主が、企業の統治をするという仕組み自体ばかげている。
短期的な利益しか評価されないのでは、正しい方向性を向いた企業ですら軽視されかねない。

これは機関投資家においても同じことが言えるのではないか。
いくら長期投資といっても、あがりすぎたと判断した株は売らざるを得ない。
最優先は顧客に還元する利益の追求であるからだ。

ここ最近までは、機関投資家企業統治に対する認識や責任感が薄かった。
(筆者は、機関投資家やアナリスト達も上記のエリート達で固められており、企業統治を語れる人は少ないと述べているが…)



『議決権は株を持っている期間に応じて配分するという仕組みが、長期保有という観点からは望ましいのではないか?』

長期保有する人がより多くの権限を持つようになれば、統治権と財産権の分離の問題も少し解決できるのではと考える。
つまり、純粋に株の売買を行うもの、企業統治を行うもの、の役割を分担することができるのではないかと思う。

新たに株を発行するのであれば、議決権なしの種類株を発行するというのもありだろう。
しかし、長期保有インセンティブにはなりえない。

人間は本来弱いものであり、何らかのインセンティブの奴隷であるという筆者の言葉を借りると、検討すべき事項ではないかと思う。